熊本地震 震災ミュージアムとは?東海大学阿蘇キャンパスの今

2016年未曽有の被害をもたらした熊本地震から約5年の月日が経過した2021年3月。

地震によって落橋した阿蘇大橋が、少し下流に位置を移動し「新阿蘇大橋」として開通しました。

下の写真は地震直後の写真ですが、大きく斜面が崩れたあたりに阿蘇大橋がかかっていました。

この現場に伸びていた断層が東海大学阿蘇キャンパス内に隆起し、姿を現しました。

地面の下に断層があったことは地震前には分かっていなかったそうです。

地震の影響で建物にヒビが入り、東海大学はこの地でのキャンパス再開を断念。
実習施設を残し、南阿蘇から学生の姿が消えました。

そんな中、こちらのニュースを知ったのです。

▼南阿蘇の地で専門学校をオープンさせるクラウドファンディングです

『IICAサポーターになりませんか?』震災前の学生の賑わいを取り戻したい! - CAMPFIRE (キャンプファイヤー) (camp-fire.jp)

学生がいなくなった南阿蘇に専門学校を開校し、南阿蘇に学びの場をつくるとのこと。

クラウドファンディングで資金を集め、学生寮の整備や入学式の準備金などに充てるそうです。

▼IICAさんのHPはこちらです

イデアITカレッジ阿蘇 | 熊本県南阿蘇村の専門カレッジ (iica.jp)

微力ですが参加させていただきました。クラウドファンディングの成功を願っています。

今回は、なぜ、東海大学阿蘇キャンパスは南阿蘇での再開を断念したのか、学生は南阿蘇を去ることになったのか、残されたキャンパスの建物の状態をみていきます。

現在、 東海大学阿蘇キャンパス は「熊本地震 震災ミュージアム」として保管、整備され、公開されています。

7月に訪問した際にガイドさんから聞いたお話を元に記事にしました。

1.熊本地震 震災ミュージアム 記憶の回廊とは

熊本県と特に被害が大きかった8つの市町村では、地震の記憶を後世に残し、防災意識が根付くよう活動されています。

残せるものは震災遺構として保存しています。さらに拠点を巡る回廊形式のミュージアム「記憶の廻廊」を展開。

観光客などに震災の恐ろしさや防災の大切さを訴えています。

▼熊本地震 震災ミュージアム 記憶の廻廊 についてはこちらです。

熊本地震震災ミュージアム (kumamotojishin-museum.com)

この震災ミュージアムの中核拠点として公開されているのが今回ご紹介する「旧東海大学阿蘇校舎1号館・地表地震断層(南阿蘇村)」です。

2.東海大学阿蘇キャンパスの今

上記の震災ミュージアムのサイトではデジタルアーカイブとして震災後の各地の被害の様子などを記録した写真と動画を公開しています。

二次使用可能なものから阿蘇大橋の震災直後の動画を添付します。 (※被災状況の動画になります。苦手な方はサイトを閉じてください)

【出典:熊本地震デジタルアーカイブ/提供者:南阿蘇村】

この大きく斜面が崩れた場所につながる断層が東海大学のキャンパス内に隆起し、建物に大きな被害をもたらしました。

下記の写真をご覧ください。震災前のキャンパスの様子です。 【出典:キャンパス内の案内板より】

白い電波塔の背景にある山が動画の大きく土砂崩れを起こした山になります。

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: P7030236-600x450.jpg

次は現在のキャンパスの写真です。

白いキャンパスの手前にある黒い屋根で覆われた部分が隆起した断層です。

こちらのキャンパスは、熊本地震発生前は元々一つの建物でした。

今は途中で切り離され、3つに分かれています。

損壊が激しかった断層の上に合った中央部分と左右を切り離すことで建物全体の耐震を図り、保管できる状態にしたとのことでした。

この隆起した断層が阿蘇大橋までつながっており、未曽有の被害をもたらしたそうです。

一つ一つ詳しく見ていきます。

1点目、断層部分です。こちらは近くに設置されていた看板になります。

40センチ~50センチのずれを起こしたそうで大きく地面が揺れたことが分かります。

2点目、建物部分。

建物に近づくと鉄筋コンクリートの柱が大きくひび割れ、ゆがんでいるのが分かります。

3点目、正面玄関になります。

スクールバスがこちらに止まり、多くの学生が一日の学びのスタートとして一歩を踏み出していた場所。

足元に視線を移すと地面にはコンクリートのスキマができており、強度の高いコンクリートですが大地の揺れには勝てなかったことが分かります。

3.まとめ

この記事を公開した目的は、「私たちにできることは何なのか」私自身、この疑問としっかり向き合うためでした。


▼記事執筆の原動力となった記事です。

消えた学生村「寂しい」 熊本地震5年、南阿蘇村で下宿経営していた市原さん  | 熊本日日新聞社 (kumanichi.com)

1000人近い学生が南阿蘇の地で学び、地域の安全と自治を担い、時にはバイト人員として地域を支えていました。

人口減少を食い止めたい。村に若者の活気を取り戻したい。というのが地元の声です。

まだブログで情報をお伝えすることしかできていませんが、再び南阿蘇が若者の町として注目されるよう応援していきたいと思います。

熊本地震によりこの地で学んでいた学生は引っ越すこととなりましたが、2022年 イデアITカレッジ阿蘇 さんが専門学校として開校し、学びの場がオープンします。

カレッジ内にはコワーキングスペースが設けられており、お仕事スペースとして利用することもできるようです。

勤務地に縛られない働き方が注目されていますので、私自身も通勤型勤務から卒業し、南阿蘇の地で働くことが出来るよう環境整備していきたいです。

何かお気づきな点がありましたらご指摘ください。

最後までありがとうございました。

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